第14章
旅立ち
その年の夏の終わり、マツが逝った。
庵の中で、静かに眠るように死んでいた。
苦しんだ様子はなかった。
顔は穏やかだった。
シンはマツの傍らに座り、長い間動かなかった。
アラが来た。キヨが来た。
三人は黙って、マツのそばにいた。
夜になってから、シンは言った。
「マツは何も残さなかった。言葉も、書物も、弟子も。」
キヨが言った。
「残した。」
シンは聞いた。
「何を。」
キヨはシンを見て言った。
「問いを。」
シンはその言葉を、腹の底に置いた。
しかしその夜、シンは動けなかった。
体が重かった。
朝が来ても、起き上がれなかった。
三日間、シンは寝たまま天井を見ていた。
何も食べず、何も言わず、ただ横になっていた。
自分は割れた器だと思った。
マツを失い、サカリとも離れ、何一つ守れなかった。
割れた器は、もう元には戻らない。
四日目の朝、アラが水を持ってきた。
黙って置いた。
キヨが来て、シンの横に座った。
しばらく黙ってから言った。
「割れていない。まだ割れていない。」
シンは聞いた。
「なぜ分かる。」
キヨは言った。
「割れた者は、痛みを感じない。
お前がこんなに苦しいのは、まだ繋がっているからだ。」
シンはゆっくり起き上がった。
水を飲んだ。
翌朝、シンはアラとキヨに言った。
「旅に出る。この村だけが世界ではない。道がどこまで続いているか、確かめたい。」
アラは即座に言った。
「行く。」
キヨは少し考えてから言った。
「私も行く。」
三人は村を出た。
サカリは見送りに来なかった。