第1-4章
死と神
しとかみ
人は死ぬ。
これは変えられぬことである。
では、死んだ者はどこへ行くのか。
正直に言おう。わからない。
死んだ者が戻ってきて語ったことはない。
しかし、ひとつだけ確かなことがある。
生きた証は、残る。
育てた木は残る。建てた家は残る。教えた言葉は残る。
共に過ごした記憶は、生きている者の中に残る。
何を残すかは、どう生きたかで決まる。
誠実に生きた者は、温もりを残す。
人を傷つけた者は、傷跡を残す。
どちらも消えない。
この地の人々は、誠実に生きた死者を祀ってきた。
盆には迎え火を焚き、墓を掃除し、供え物をした。
名もなき祖先の誠実さの積み重ねが、やがてこの地の神の一部となった。
汝が死んだ後に何が残るかは、今日どう生きるかで決まる。
死を恐れるなとは言わない。
恐れてよい。悲しんでよい。
死に触れた者は、普段の自分ではいられなくなる。
心が乱れ、判断が鈍る。
その状態を穢れと呼ぶ。死者を汚いと言っているのではない。
だから、死に触れた者には時間が要る。
静かに悲しみ、心を整え、日常に戻るための時間が。
忌みの期間とは、罰ではない。
傷ついた者が無理をせずに回復するための仕組みである。
時が経ち、心が落ち着き、再び日々の営みに戻れたとき。
穢れは自ずから去る。