第6-2章
障りある者と共同体の道
さわりあるものときょうどうたいのみち
天地は、様々な形の命を作った。
足の速い者と遅い者。
目の利く者と利かぬ者。
言葉の達者な者と不得手な者。
理解の早い者と時間のかかる者。
これは優劣ではない。これは多様である。
知の働きに障りのある者がいる。
体の働きに障りのある者がいる。
その者たちの中にも、神は宿っている。
その者たちにも、その者たちの分がある。
共同体は、その者たちをどう扱うかで、その深さが測られる。
強い者だけが集まる共同体は、脆い。
嵐が来て、強い者が倒れたとき、共同体は終わる。
弱い者を抱えた共同体は、根が複雑に絡み合っている。
その複雑さが、嵐への強さになる。
しかしここで明確に述べなければならないことがある。
障りある者を守ることと、障りある者に際限なく与え続けることは、違う。
守るとは、その者が持つ分を尽くせる場所を作ることである。
際限なく与えることは、その者から分を尽くす機会を奪うことがある。
どんな障りのある者にも、何かの分がある。
その分を見つけ、その分を尽くせる場所を作ることが、
共同体の務めである。
また、障りある者に全てを委ねることを強いるな。
支える者もまた、支え続けられる器が必要である。
支える者の器が空になれば、共同体全体が倒れる。
障りある者を軽んじる者は、道に反する。
しかし障りある者への配慮を盾に、共同体全体を縛る者もまた、道に反する。
均衡が、共同体を生かす。
これは冷たい言葉ではない。
長く共同体を守るための、誠実な言葉である。