第3-1章
場の作法
ばのさほう
場とは、同じ道を歩む者たちの集まりである。
家族は場である。職場は場である。地域もまた場である。
人が集まり、共に生きるところには、必ず場が生まれる。
どの場にも、その場が積み上げてきた作法がある。
それは文字になっていないことも多いだろう。
しかしそれは確かに、そこにある。
作法とは支配ではない。
その場に生きてきた人々の知恵が、時をかけて形になったものである。
新たにその場に加わる者よ。
汝が持ち込む作法を、まず胸の内にしまえ。
まず見よ。まず聴け。まず感じよ。
その後に、汝の言葉を発せよ。
これを窮屈と感じる者もいるだろう。
しかし、長く積み上げられたものを尊重することは、そこに生きた無数の人々を尊重することである。
自らの作法のみを正しいと信じる者よ。
汝の作法もまた、どこかの場で誰かが積み上げたものに過ぎない。
場は、異なるものを排除しない。
ただ、その場にはその場の作法がある。
それを受け入れる意志のある者を、場は迎え入れる。
迎え入れられ、共に過ごし、作法の意味を知ったとき。
はじめて、作法について語る資格が生まれる。
ただし、それは作法を好きに変えてよいという意味ではない。
変えるならば、その場に生きる者たちと共に考えよ。
独りよがりに変えたものは、作法ではない。ただの我がままである。