第4-2章

論理という刃の砥ぎ方

ろんりというやいばのとぎかた

道を歩む者は、正しく考えなければならない。
誠実な心だけでは、なる言葉に騙されることがある。
心と同様に、思考も鍛えなければならない。

論理とは、思考の作法である。
感情ではなく、道を立てて考える力である。

論理を知らぬ者は、声の大きな者に流される。
論理を知らぬ者は、もっともらしい嘘を見抜けない。
論理を知らぬ者は、自が騙されていることにも気づかない。

まず知れ。論理の基本はこうである。

「Aである。AならばBである。ゆえにBである。」
この筋道が通っているとき、言葉は道に適う。
しかし多くの邪な言葉は、この筋道のどこかを歪める。

邪な言葉の手口を、覚えておけ。

一、前提をすり替える者がいる。
「差別はいけない。私への批判は差別だ。ゆえに批判してはいけない。」
これは前提が歪んでいる。批判と差別は同じではない。
前提を疑え。

二、全体を一部で語る者がいる。
「あの者は一度嘘をついた。だからすべての言葉が嘘だ。」
これは筋が通らない。一部の事実で全体を決めるな。

三、反論できないことを証明とする者がいる。
「違うと言えないだろう。だから私が正しい。」
反論できないことは、正しいことの証明ではない。

四、権威で誤魔化す者がいる。
「専門家がそう言った。だから正しい。」
専門家も誤る。誰が言ったかより、何を言ったかを見よ。

五、感情で論理を塗り替える者がいる。
「かわいそうではないか。だから許すべきだ。」
感情は大切である。しかし感情は論理の代わりにはならない。

この道を歩む者よ。
言葉を聞くとき、まず筋道を見よ。
感情より先に、論理を確かめよ。
そして論理が通った後に、感情で温めよ。

論理は冷たい刃である。
しかし切れない刃は、守ることができない。
切れる刃を持ち、しかしむやみに振るわぬ者が、この道の武士である。